2025/10/28 10:30

ジョージ・ハリスンの名前を聞いて、真っ先に浮かぶのは「ギタリスト」としての姿だろう。
ジョン・レノンとポール・マッカートニーという、あまりに強烈な二人の陰に隠れ、彼は常に“サードマン”として語られてきた。だがその評価は、あまりに表層的だ。
ビートルズ後期、「Something」や「Here Comes The Sun」を生み出したとき、ジョージはすでに、バンドの一員でありながら、自分だけの表現を見つめ始めていた。
その静かな探求心が、後期ビートルズの音楽をいっそう深く、豊かなものにしていった。
ジョンやポールのように主張で世界を動かすのではなく、ジョージは“内側”へと向かった。彼の目が見ていたのは、名声でも、革命でもなく、「心の平穏」だった。
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若きジョージ:ロックンロール少年からビートルズへ
1943年、リヴァプールの労働者階級の家庭に生まれたジョージ。
兄から借りたギターでロックンロールを覚え、わずか14歳で地元のバンドに加入した。彼のギタープレイはすでに光っており、ポール・マッカートニーの推薦でジョン・レノンのバンド「クオリーメン」に参加。こうして、後のビートルズが誕生する。
当時のジョージは最年少だったが、演奏技術では頭ひとつ抜けていた。
チャック・ベリー、カール・パーキンス、バディ・ホリーなどアメリカのロックンロールに夢中になり、リードギターとしての役割を果たしていく。初期ビートルズの「Roll Over Beethoven」や「I Saw Her Standing There」に聴ける切れ味鋭いギターソロは、若き日のエネルギーの証だ。
しかし、作曲の場ではジョンとポールの二枚看板が絶対的だった。
バンドのレコーディングでも、彼の楽曲はアルバムに1、2曲ほどしか入れてもらえない。才能があるにも関わらず、門前払いを受ける日々——そのフラストレーションは、やがてジョージの創造性を別の方向へ導いていく。

若き日のジョージ
作曲家ジョージの台頭:「Something」と「Here Comes The Sun」
ビートルズの中期以降、ジョージは独自の作曲センスを確立していく。
『Rubber Soul』(1965年)では「If I Needed Someone」を書き、『Revolver』(1966年)ではインド音楽の要素を大胆に取り入れた「Love You To」を発表。
ラヴィ・シャンカルとの出会いをきっかけに、彼は西洋ロックの枠を超えたスピリチュアルな音楽性を追求し始める。
そして1969年、『Abbey Road』に収録された「Something」と「Here Comes The Sun」。
この2曲でジョージは、ついにジョン&ポールの影を完全に抜け出した。
「Something」はフランク・シナトラが「史上最高のラブソング」とまで称賛した名曲。
抑制の効いた旋律と優しい歌詞、そして滑らかなギターライン。派手ではないのに、深く心に残る。
「Here Comes The Sun」は、アップル・スタジオの緊張感から逃れるように訪れたエリック・クラプトンの自宅で生まれた。
“太陽がまた昇る”という、あまりにシンプルな言葉の裏に、ジョージの精神的解放が透けて見える。
この曲が今なお世界中で愛され続けるのは、その優しさが「彼自身の祈り」だからではないだろうか。
▼「Something」「Here Comes The Sun」収録|The Beatles / The Beatles Ballads :LPレコード
バンド内での葛藤と脱退騒動
しかし、音楽的な成熟と反比例するように、バンド内の空気は悪化していった。
ジョンとポールの対立、管理体制をめぐる混乱。
その中で、ジョージの存在は次第に“蚊帳の外”へ追いやられていった。
自作曲を提案しても採用されず、ギターパートさえ細かく指示される。
『Let It Be』の制作中、ジョージはついに限界を迎える。
「I'll play whatever you want me to play, or I won’t play at all.」
(君たちが望むなら何でも弾くし、弾かなくてもいいよ)
——あの有名なセリフは、諦念と誇りの入り混じった本音だった。
その後、彼は一時的にビートルズを離脱。
ニュースでは“脱退騒動”として大きく報じられたが、実際の彼は怒りよりも「虚しさ」に包まれていた。
それでもジョージは戻ってきた。最後のアルバム『Abbey Road』では見事な作品を残し、バンドを静かに締めくくった。
▼©️2021 The Beatles ビートルズ ABBEY ROAD バンドTシャツ バンT 古着
ソロでの解放:「All Things Must Pass」と精神世界への探求
1970年、ビートルズ解散。
世界中がジョンとポールの確執に注目する中、ジョージは静かにスタジオへこもった。
そして完成させたのが、3枚組の大作『All Things Must Pass』。
そのタイトルが象徴するように、「すべてのものは過ぎ去る」。
喧騒も、名声も、痛みも、そしてビートルズも。
ジョージはこのアルバムで、人生の“無常”を受け入れながら、再び光を見出そうとしていた。
「My Sweet Lord」はその象徴的な楽曲だ。
“ハレ・クリシュナ”の祈りをポップメロディに乗せ、世界中のチャートを制覇。
宗教性をポップに昇華させた稀有なヒット曲となった。
西洋的な成功の中で、彼はインド哲学に救いを見いだし、心の平穏を求め続けた。
『All Things Must Pass』は、単なるソロデビューではない。
それは「ジョージ・ハリスンの再生」であり、「ビートルズからの解放」だった。
クラプトン、リンゴとの友情と「トラヴェリング・ウィルベリーズ」

ソロ活動の中で、ジョージはエリック・クラプトンとの深い友情を育んだ。
しかし、その関係は複雑でもあった。
クラプトンはジョージの妻パティに恋をし、最終的には彼女と結婚する。
それでも二人は絶交することなく、むしろ音楽を通じて友情を深めた。
その懐の深さこそ、ジョージという人間の器を物語っている。
80年代には、ボブ・ディラン、トム・ペティ、ジェフ・リン、ロイ・オービソンと共に「トラヴェリング・ウィルベリーズ」を結成。
肩書もエゴも置き去りにして、“音楽を楽しむためのバンド”を作った。
その明るくユーモラスな雰囲気は、若き日のビートルズを思い出させるようだった。
晩年は癌との闘いの中でも創作を続け、息子ダーニとともに最後のアルバム『Brainwashed』を完成させた。
彼の最期の言葉は、「愛こそがすべて」——それは、人生の終着点でなお音楽に託した祈りだった。
終章:静かな革命家としての遺産
ジョージ・ハリスンは、声を荒げることなく時代を変えた。
彼がロックに持ち込んだのは、ノイズでも政治でもなく「静けさ」だった。
それは“音の余白”を尊び、“心の平穏”を求める、新しいロックのかたち。
「Here Comes The Sun」は、今やSpotifyでビートルズの中で最も再生されている曲だ。
半世紀を超えてもなお、人々がこの曲を必要としている。
それは、混乱と不安に満ちた現代にこそ、彼の音楽が響くからだろう。
ジョージは自らを主張することを選ばなかった。
だが、沈黙の中で紡いだ旋律は、誰よりも雄弁に世界を癒した。
太陽がまた昇るように——
ジョージ・ハリスンの音楽も、これからも何度でも私たちの心に光を差す。
▼「Something」「Here Comes The Sun」収録|The Beatles / The Beatles Ballads :LPレコード
出典一覧
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『The Beatles Anthology』(Apple Corps Ltd., 2000)
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George Harrison, I Me Mine(Chronicle Books, 2002)
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Martin Scorsese, George Harrison: Living in the Material World(HBO Documentary Films, 2011)
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Rolling Stone Japan「ジョージ・ハリスン特集:静寂の中の革命」(2011年11月号)
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The Guardian, “George Harrison: The quiet Beatle who changed rock music” (2011)
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Billboard Archives, “George Harrison’s Solo Success: Chart History and Legacy” (2020)
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BBC Music Interviews: George Harrison (1970–2001)
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Apple Music / Spotify 各公式アーティストページ





