2025/02/24 13:10



「キング・オブ・ポップ」と呼ばれる唯一無二のアーティスト、マイケル・ジャクソン。
この称号は、彼が現在に至るポップスというジャンルを再構築し、音楽、ダンス、ビジュアル表現の全てを進化させたことを象徴している。
史上最も多くの賞を受賞したアーティストとしてギネス記録に認定されており、1982年にリリースしたアルバム『Thriller』は「史上最も売れたアルバム」としてギネスに記録されている。全世界で7000万枚以上を売り上げたこのアルバムは、音楽史において誰も到達できない高みに位置している。

本記事では、マイケル・ジャクソンをあまり知らない方や、古着好きにおすすめな情報を紹介していく。

目次

1.マイケル・ジャクソンを一言で表すと
2.キング・オブ・ポップになるまで
3.黒人音楽と白人聴衆の橋渡し役を担った偉業
4.人気Tシャツ&必聴アルバム
5.まとめ

1.マイケル・ジャクソンを一言で表すと

マイケルジャクソンを一言で表すならばもちろん「キング・オブ・ポップ」だろう。モータウンレコード出身の彼がR&Bではなくポップスの王として呼ばれたことは、黒人の歴史にとって大きな出来事である。

2. キング・オブ・ポップになるまで

-生い立ち-
1958年、アメリカ・インディアナ州ゲイリーで生まれたマイケル・ジャクソン。
鉄鋼業の街で育った彼は、ジャクソン家の9人兄弟の7番目という大家族の一員だった。
父ジョセフの厳格な教育のもと、幼少期から音楽活動を始める。父の厳しすぎる指導や家庭環境は、後の彼の人格形成や創作活動にも大きく影響を与えたとされている。
ただ、その環境は同時に、彼の並外れた音楽的才能を引き出す土壌でもあった。年齢を超えた歌唱力やリズム感、カリスマ性は、すでにこの頃から突出していた。

-ジャクソン5時代 (モータウンとの契約) -
マイケルが本格的に音楽シーンへと飛び出したのは、家族とともに結成した「ジャクソン5」。
1969年にモータウンレコードと契約し、デビュー曲「I Want You Back」は瞬く間に大ヒットを記録。
その後も「ABC」「I'll Be There」など、立て続けにヒット曲を生み出し、アメリカ全土で一世を風靡した。

この時期のマイケルは、まだ10代にも満たない少年だったが、そのパフォーマンスは天才的だった。
モータウンのショーマンシップを学んだことも、後に彼のステージ演出に活かされる。
ジャクソン5としての活動は、マイケルにとって音楽の基礎を学び、エンターテイナーとしての第一歩を踏み出す重要な時期だった。

またこの頃の思い出や楽曲はマイケル自身大切にしていたようで、ソロ活動を始めてからもライブで必ず一曲はジャクソン5時代の楽曲を披露していた。

-ジャックソンズ時代-
1975年、ジャクソン5はモータウンを離れ、レーベルを移籍。グループ名を「ジャクソンズ」に変更する。
この時期、マイケルはソングライターとしての才能を開花させ、「Shake Your Body (Down to the Ground)」などの楽曲を生み出した。
また、モータウン時代よりも自由なスタイルで音楽を作ることができるようになり、次第にソロアーティストとしての意識も強まっていく。

-黄金期 (ソロアーティストとしての成功) -
1979年、アルバム『Off the Wall』でソロアーティストとしての快進撃を開始する。
このアルバムでは「Don't Stop 'Til You Get Enough」や「Rock with You」といった名曲が生まれ、全米チャートを賑わせた。
ここでプロデューサー、クインシー・ジョーンズとの黄金タッグが結成される。ディスコサウンドとソウルの融合が成功し、アーティストとしての可能性を大きく広げた作品となった。
1982年には、音楽史に残る伝説的なアルバム『Thriller』をリリース。「Billie Jean」「Beat It」「Thriller」といった楽曲は、全世界で爆発的な人気を博し、アルバムはギネス世界記録に認定されるほどの売上を記録。
特に「Thriller」のミュージックビデオは、ストーリー性を持つ短編映画としても評価され、エンターテイメントの新たな基準を作り上げた。
ムーンウォークもこの時期に誕生し、彼の代名詞となる。
1987年にはアルバム『Bad』を発表。タイトル曲「Bad」や「Smooth Criminal」、さらに「Man in the Mirror」など、多くの名曲が収録されている。
前作『Thriller』の影響で大きな期待を背負っていたが、結果的にその期待を超え、アルバムは世界的なヒットを記録。
『Bad』のツアーでは、彼のダンスパフォーマンスや衣装も注目を集め、特に革ジャンやストラップ付きのパンツといったスタイルは現在の古着市場でも人気が高い。

-晩期-
1990年代以降、マイケルは一連のスキャンダルや白斑症による肌の変化により、多くの困難に直面することになる。
それでも音楽への情熱は衰えず、1995年にはアルバム『HIStory』をリリース。
社会問題を扱った「Earth Song」や「They Don’t Care About Us」などの楽曲を通じて、世界中にメッセージを発信し続けた。
晩年には、2009年のコンサート「This Is It」の準備が進められていた。
しかしリハーサルの最中に突然の死を迎え、ファンや音楽業界に大きな衝撃を与えた。「This Is It」は映画として公開され、彼の最後の姿を世界に届けた。

マイケル・ジャクソンの人生は、栄光と苦難の連続だったが、彼の音楽やパフォーマンスは、時代を超えて人々に愛され続けている。

3. 黒人音楽と白人聴衆の橋渡し役を担った偉業

マイケル・ジャクソンが活躍した時代、音楽業界にはまだ人種による壁が存在していた。
黒人アーティストが主流チャートで成功を収めることは容易ではなく、特にポップシーンにおいては白人アーティストが圧倒的に優勢だった。
そんな中、マイケルはジャクソン5としてデビューし、モータウンレコードの支援を受けながらその壁を少しずつ崩していく存在となった。

モータウンレコードは、黒人アーティストをメインストリームに押し上げた象徴的なレーベルだ。
ソウルやR&Bといったジャンルをベースにしながら、白人リスナーにも響くポップな楽曲を数多く生み出し、黒人音楽の可能性を広げていった。
マイケルもまた、そのムーブメントの中心で力を発揮し、モータウンが掲げる「音楽を通じて壁を越える」という理念を具現化していった。

彼の音楽が特別だったのは、黒人音楽のルーツであるソウルやファンクに基づきながらも、ロックやポップスといった要素を融合させていた点だ。
例えば、「Beat It」ではエディ・ヴァン・ヘイレンのギターソロを取り入れ、黒人音楽とロックという一見対照的なジャンルを大胆に結びつけた。
この楽曲はMTVでヘビーローテーションされ、黒人アーティストがMTVで扱われる機会を劇的に増やした歴史的瞬間でもある。

また、アルバム『Thriller』の成功は、音楽的な要素だけでなく、ビジュアルや演出の力を使い、ジャンルや人種を超えてリスナーを巻き込んだ結果といえる。
「Billie Jean」のミュージックビデオではムーンウォークを初披露し、「Thriller」では短編映画のような大胆な映像美を取り入れ、視覚と聴覚の両方で世界中の人々を魅了した。
これらの作品は、黒人アーティストがメインストリームで成功する土壌を大きく変えた。

彼の音楽とパフォーマンスは、黒人と白人、さらには国境さえも越えてリスナーを結びつけた象徴的な存在だった。
彼が築いた道は、後に続くアーティストたちにも新たな可能性をもたらし、ポップミュージックが持つ力を証明したといえる。

4. 必聴アルバムとおすすめTシャツ





『Thriller』(1982年)
世界で最も売れたアルバム。
「Billie Jean」「Beat It」「Thriller」といった名曲が収録されており、MTVの普及とともに音楽と映像の融合を果たした作品。
マイケルのキャリアだけでなく、ポップミュージック全体に影響を与えたアルバムといえる。



『Off the Wall』(1979年)
ディスコとポップの融合に成功した初のソロアルバム。
「Don't Stop 'Til You Get Enough」「Rock with You」などの名曲が収録され、ダンサブルな楽曲が多いのも特徴。
このアルバムで、マイケルはR&Bシンガーからポップスターへと進化した。



『Bad』(1987年)
「Bad」「Smooth Criminal」「Man in the Mirror」などの名曲を収録。
ファッション面でも影響を与え、特にこの時期の衣装は古着市場でも人気が高い。
マイケルのエンターテイナーとしての完成度がピークに達した作品。


5.まとめ

マイケル・ジャクソンは音楽、ダンス、映像表現を進化させた「キング・オブ・ポップ」。
彼の功績は音楽史の中で永遠に語り継がれる。彼の音楽を改めて体感し、その革命的な魅力を感じてほしい。